(2)西へ
製紙法は中国国外に伝えることは禁止されていたので、150年に敦煌、250年頃にローラン、250-300年頃にニヤ、399年にはトルファンと当時の中国の勢力圏内には早くから伝わっていましたが、それより西へは紙自体はシルクロードの交易により伝わっていましたが、製紙技術の伝播はもう少し後になります。
751年に唐軍とイスラム軍の戦いがタラス川付近であり、唐軍が敗れました。その結果、多くの唐の兵士が捕虜となりましたが、その中に製紙技術者がいて、彼らが西へ製紙法を伝えたようです。757年にはサマルカンドに製紙工場が建設され、原料を亜麻とする良質な紙が作られ、それまで使用されていたパーチメントやパピルスに取って代わっていきました。また、1)漉簾に針金を導入、2)繊維処理に水車を利用、3)デンプン糊でにじみ止め(サイジング)を施したりと、製紙技術の改良も行っています。
793年にバグダッド、9世紀にダマスカスに製紙工場が建設され、ダマスカスはヨーロッパへ紙を供給するようになりました。その後もエジプトのカイロ、モコッコのフェズとイスラム圏の中で伝わっていきます。
1150年にスペイン国内に製紙工場が建設されると、次第にヨーロッパ各地に製紙技術が広まり、製紙工場が建設されていきます。1276年、イタリアのファブリアーノに製紙工場が建設されると、ここでは1)透かし(ウォーターマーク)の発明、2)イスラム圏のデンプンによるサイジングから膠サイズへ、3)繊維処理(叩解)に水車駆動のスタンピングミルの使用などの技術改革が行われます。その後も1389年ドイツのニュルンベルグ、1494年イギリスのスチブナージ、1586年オランダのドルトレヒトと、次々に製紙工場が建設されていきました。1670年には、オランダでホランダビーターが発明され、繊維処理にかかる時間が短縮されました。
また、1450年には紙の発展に大きな影響を及ぼした歴史的な出来事がありました。グーテンベルクの活版印刷の発明です。印刷術が広がると、多くの出版物を印刷する支持体が必要となります。紙はそれまでのパーチメントと違い、原料があればすぐに作ることができ、安定した供給が可能な支持体だったのです。


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