和刻本蘭書のこと 4

安政二年(1855)8月…同年6月の建白書が採用され、長崎奉行所西役所内に活字判摺立所(「西役所版」)が設立。阿蘭陀通詞の本木昌造を活字判摺立方取扱掛としました。同時に老中阿部伊勢守は、長崎奉行の荒尾石見守・川村対馬守に対して、最後のオランダ商館長ドンケル・クルティウスに洋活字・銅版・その他一式をオランダに追加注文するように命じています。
 これを受けて同年12月15日ドンケル・クルティウスは、ロッテルダムのテッテロデ鋳造所製の日本片仮名活字板10枚並びに活字手本一包などを提供しています。このことから、クルティウスは洋書復刻ばかりでなく、漢字や日本仮名字を用いて西洋学術に関する翻訳書、邦人の自著などを出版する機会を作っています。ただし、提供した活字類がどのように使われたのかは分かっていません。

安政三年(1856)6月…オランダ全国善徳協会(Maatschappij tot Nut van’t Algemeen)編『シンタキス(和蘭文典成句論』528部
※『シンタキス』について
『ガラムマチカ(和蘭文典前編』という初級編を半年程度かけて文法の学習を終えた者が引き続きオランダ語の構文を学習するための教科書。『ガラムマチカ』の翻刻は美作の箕作阮甫(1799~1863年 津山藩士、蘭学者、蕃書調所主席教授)によって、『和蘭文典前編』として天保十三年(1842)に筆写体蘭文の木版本で上梓されています。蘭学を学ぶものは必ずこの箕作阮甫版を買い求めたといわれ、五千冊刷ったとも伝えられています。また、『和蘭文典後編』は嘉永元年(1848)に上梓されています。
★箕作阮甫版は1810年刊の初版を元にしていますが、長崎版では1846年刊の第二版を復刻しています。

※『和蘭文典前編』翻刻本について
①安政年間に江戸でウェイランドの辞典と同一系統の翻刻者によって、鉛活字で印刷されたと思われる。
②薄様の雁皮紙片面刷り、袋とじ、装丁は厚紙の表紙に背クロスの洋風を真似たもの。タイトルページだけは木版使用。

※『シンタキス』の販売について
一部を江戸の天文方へ納め、残部は定価をつけて長崎会所から一般に販売(一部につき金二歩=0.5両=25匁)

※『シンタキス』の売れ行き
販売するための努力を次のように行っています。荒尾・川村両長崎奉行は安政三年7月に長崎会所だけでは広く行き届かないため、江戸では阿蘭陀宿長崎屋源右衛門(日本橋本石町三丁目、新日本橋駅付近)、京都では阿蘭陀宿海老屋村上等一、大坂では銅座地役為川住之助で売り捌けるように幕府へ願い出ました。
翌年の安政四年10月には金一歩二朱へと25%の値下げを行っており、出版から一年半近く経過しても完売せずに在庫を抱えていたことが分かります。★阿蘭陀宿…オランダ商館長や通詞が、江戸参府途上や江戸において滞在した定宿のこと。

※『シンタキス』の中で「長崎東衙官許」印を持つものがあり、これは「安政五年(1858)10月、長崎屋源右衛門方で長崎差廻しの蘭書を売り捌くことに」なったときの蕃書改済印(検閲印)であることから、この月以降(出版から二年半後)も在庫を抱えていたことが分かります。
★「長崎東衙官許」…安政五年(1858)に長崎からの輸入書に奉行所東役所で押された検閲印のこと。